「ハーバード白熱教室@東京大学」への考察

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イチローの年収は高すぎる?」

お金のシステムは、社会システムから独立した(もちろん社会システムが商いの場を許可し整備している一面もあるが)システムであり、労働や、モノ、サービス、人々の動機などを市場の需要が価値づけし、蓄積した価値を必要なものに交換する仕組みである。一方社会システムは、所属構成員の人権、生活の基本的保障、経済活動その他の仕組みの整備などが取り扱う価値である。
その二つの異なる価値を持ったシステムが社会構造全体でどのように組み合い機能することがよい選択なのかということに尽きる。
現在では、社会システムがお金のシステムを一部分として取り込む仕組みである為に、構成員に対する課税と再分配が生じることは必至である。

ここでイチローの年収は、お金のシステムにおける市場の需要が価値づけた額であり、オバマ大統領の年収は社会システムの再分配の機能によって取り決められた額である。同じお金の額という比較できる数字であるが、そもそものそれらの額の決定要因が異なる為、単純な数字の比較は無意味である。この問いは、システムの違いと各システムの額の決定方法は正しく機能しているか、社会構造全体における、お金のシステムと社会システムの相関の現状が、本当に正しい在り方なのかを問い直す「問題」なのである。

社会システム全体の運用を考慮したうえで、個人がそれに所属することを自覚するのであれば、個人は課税の義務を負うべきであると言うしかない。
お金というのは労働や、物、サービス、人々の動機、生命さえ交換できる価値であるゆえに、お金の所有によって個人が権力を持てるという現象が、お金というシステムの利点であり害悪である。

「戦争責任を議論する」

人間は自ら生まれてきた環境を選択することはできないという意見があるが、現在我々が享受している社会インフラや人権保障などの倫理観は、先人達が経験し培って出来上がったものであり、それらを認識したうえで社会環境を受け取る態度は、現在に生きる我々の人間として備えるべき良識であると言いたい。いかなる歴史を持つ社会に生まれたとしても、現在の社会システムと過去の歴史的背景をセットとして認識し、先人から社会システムを引き継ぐことは、人間の人格の持つべき一つの性質ではないか。
所属する社会システムの歴史的背景を学んで、現在その中で自分は生活しているという立場を自ら規定すること。それは人間の備えるべき良識であることを強調したい。
所属する社会の先人たちの過去の行為が、人道的に誤りであったことの明確な認識と、害を受けた人々とそれに関係する人々に対しての謝罪が不足していると認められる場合には、それらがあるべきように執り行うこと、先人からの倫理的負債として同じ社会に所属する現在人が引き受けることは、普遍的人間性として望まれるべきものである。