キリスト教について

キリスト教、少なくとも神学は、石畳で舗装された文化の上に、人間の自我が作り上げた、人間が考えうる最上の良心と権力者の人間統治に好都合な作用をもたらす目的で構築された物語(教義)である。
物語によって自我は安定し、物語を共有することで、社会という人間の共同体の結束が生じる。共通の物語によって権力者の人間への統制が容易になり、社会が安定する。
自我が創出した神の概念への畏敬の念と、条件付き愛と罰への恐れによる人間の行動の統制。教義を離れた行為による罪悪感、社会からの疎外感(つまはじき)の状態から、懺悔による許しがもたらす大多数への帰属回帰のカタルシス。自我の思考パターンは教義の枠組みの中に子羊となって住まうのである。
キリスト教から感じとれる強烈な光の放射束は、(現時点では)キリスト教徒が積年従ってきた、物語(神・教義)への畏敬の念と敬虔な祈りが集積し構築された、強い意志のあらわれであると想像する。
現在は、国際人権による保護、人間の欲望、お金という共有媒体への渇望、国家権力の法よる統治が自我の思考パターンの枠組みである。